京阪地下30周年


京阪電車の東福寺―三条間が地下化されて今日で30年になるらしい。

それまでは鴨川沿いを走っており、車窓から眺める風景が明媚であった。

私がよく乗ってたのは小学生の頃の話であるから記憶は遠いが覚えてる。

春は桜が綺麗であった。

5月24日が地下化完成した日なのは失念してた。

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工事を見に行った

当時、地下化される前日の夜中、地上から地下への切り替え工事の様子を見に行った。

京阪とその上を通るJR(当時国鉄からJRになったばかり)の高架が交わる辺りである。

近所の人らの見物人が多く居たのを覚えている。こういう工事はやはりもの珍しいものだったのだろう。

地上から線路が消え、踏切がなくなり、主な幹線道路の渋滞が緩和された。

踏切は竿が左右から降りてくるよくあるタイプではなく、ワイヤーが上からいっぺんに降りてくるタイプのやつだったと思う。

深作欣二監督の映画をよーく観てたらちょこっと映ってたりする。

「新仁義なき戦い」のどれかで出てきたわ。

 

京阪が走ってた跡は現在の川端通りとなってる。

鴨東線開通までは

当時はまだ終点が三条であった(出町柳まで開通するのはこの2年後である)。

終点なのだが行き止まりの壁があるわけではなく、出町柳方面への工事が進められていたので三条駅から出町柳方面にはカーテンの様なもので仕切りがされてた記憶がある。

出町柳には叡山電車との接続があるから、当初は叡山電車も元田中まで地下化し、京阪と乗り入れるという計画があったが叡電の財政上の理由から見送られたという話を当時どっかで読んだ。

ぜひ繋げて欲しかったなあ。

そういや地下化してすぐの頃、大雨で地下駅が水没したという災害があった。

鴨川の水が溢れ出し地下に入ってホームまで冠水したとか。

当時通学で利用してた友人の話によると復旧してしばらくは臭かったらしい。

 

写真撮ったが

七条駅はコンコースが無く、改札を通ったらすぐホームとなってる。軌道が地下に入ってすぐの所にあるから、浅いところにあるからだと勝手に思ってるが多分当たってると思う。

地下に潜るという何日か前に鴨川沿いを走る電車の写真を撮りに行ったのを思い出した。

あの写真どこいったかな。

てか現像したかな。

 

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