京阪地下30周年
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京阪地下30周年

2017年5月24日、京阪電車の東福寺―三条間が地下化されて30年ということでした。

それまでは鴨川沿いを走っており、車窓から眺める風景が明媚でしたね。

私がよく乗ってたのは小学生の頃の話でありますから記憶は遠いですが覚えてます。

春は桜が線路すぐのところに咲いてて綺麗でした。

5月24日が地下化完成した日なのは完全に失念してました。

工事を見に行った思い出

当時、地下化される前日の夜中に地上から地下への切り替えされる工事の様子を見に行きました。

京阪とその上を通るJR(当時国鉄からJRになったばかり)の高架が交わる辺りです。

近所の人らの見物人が多く居たのを覚えています。
こういう工事はやはりもの珍しいものですからね。

地上から線路が消え、踏切がなくなり、主な幹線道路の渋滞が緩和されました。

四条通や五条通の京阪踏切は竿が左右から降りてくるよくあるタイプではなく、ワイヤーが上からいっぺんに降りてくるタイプのやつでしたよ。

実は深作欣二監督の映画をよーく観てたらちょこっと映ってたりします。

「新仁義なき戦い」のどれかで出てきました。
どれかは忘れましたが。

 

ちなみに、京阪電車が走ってた跡は現在の川端通りとなってます。

鴨東線開通はもっと後

当時はまだ終点が三条でした。
出町柳まで開通するのはこの2年後なのです。

三条がもちろん終点なのですが行き止まりの壁があるわけではなく、出町柳方面への工事が進められていたので三条駅から出町柳方面にはカーテンの様なもので仕切りがされてました。

出町柳には叡山電車との接続があるから、当初は叡山電車も元田中まで地下化し、京阪と乗り入れるという計画があったのですが、叡電の財政上の理由から見送られたという話を当時どっかで読みました。

ぜひ繋げて欲しかったですなあ。

そうなるともっと交通網が色々違ったんでしょうね。

 

そういや地下化してすぐの頃に、大雨で地下駅が水没したという災害がありました。

鴨川の水がどっかから漏れ出し地下に入ってホームまで冠水したとか。

当時通学で利用してた友人の話によると復旧してしばらくは臭かったらしい。

 

写真撮ったが

七条駅はコンコースが無く、改札を通ったらすぐホームとなってます。

軌道が地下に入ってすぐの所にあるから、浅いところにあるからだと勝手に思ってますが多分当たってると思います。

地下に潜るという何日か前に、鴨川沿いを走る電車の写真を撮りに行ったのを思い出した。

地下化されるともう見られませんからね。

あの写真まだ現像してませんわ。

 

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