ヤバい神


日本語の乱れというと、いわゆる「ら抜き言葉」が代表的なものであった。

「ら抜き言葉」とは例えば「見られる」というのを「見れる」と表すように、「ら」を省略した言葉。「寝られる」を「寝れる」と言うとか。

いささか耳障りではあるが、ゆくゆくはそっちが主流になるのであろうからこれは仕方ないと思ってる。

それよりも最近気になる事がある。

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ヤバイばっかり

それは、若者が何かを表現する際に使う言葉が「やばい」ばっかりな事である。

良い事でも悪い事でも全て「やばい」。

街のインタビューを見てても芸能人のコメントを見てても「やばい」ばっかり。

日本語には、美味しい、不味い、凄い、気持ち良い、素晴らしい、美しい、汚い、醜い、酷い、など状態や気持ちを表す言葉が豊富にあるのだよ。

上に挙げた言葉でも陳腐と言われるレベルのものだ。

何でもかんでも「やばい」て、

語彙力の低下を憂う。

表現力の乏しさを危惧する。

 

それと、「○○は神」のように、自分にとって素晴らしいものを「神」の一言で済ますもの。

「かけがえのない存在」だとか「この上ない美しさ」とか色々言い方があるだろうに。

まあ、意味は分かる。

ツイッターなど文字数が制限された中で手短に書き込む場合など「神」と書けば意味が通じるから便利な言葉ではある。

情報化高速化された社会では意味がすぐに伝わればそれでいい、ってなもんか。

けどWeb上だけに留まらなくなるでしょ、普段の生活でも神って使ってるやないか。

言葉を大切に

言葉は所詮記号。だから意味が伝わればそれでいいのか、豊かな表現は必要ないのか。

そんな乾いた世の中でいいのか。

言葉は文化である。その土地の気候や風習、物の考え方などが色んな単語に様々な形で組み込まれてる。

日本語には千年以上の歴史の中で出来上がったその様な言葉が豊富にある。

もっと日本語の美しさに誇りを持ってもらいたい。

 

とは言いながら、ええ大人もあんまり言葉を知らなかったりする。

教える人が居ない、という状況になってる嫌いがある。

 

また、何というか大衆はみんなどこか忙しそうだから、ゆっくり豊かな表現というものを出して遊んでる暇は無いのかもな。

 

 

ただ、合理化されれば便利ではあるが行き過ぎると文化を失うよ。

 

関連記事→「とんでもありません」には違和感を持たなくてはいけない

 

 

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