ミスター・ラグビー平尾誠二氏のポジションと背番号は?
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ミスター・ラグビー平尾誠二氏のポジションと背番号は?

平尾誠二さんは早くに亡くなられました。

報道を見たときはショックでしたね。


まだお若いのに。53歳らしい。

私の学生時代のラグビーの大スターです。

神戸製鋼の日本選手権7連覇の中心選手でした。

また日本代表ではW杯初勝利の原動力。

あの華麗なステップで相手を抜き去っていく様は芸術的でさえありました。

ここでは平尾誠二さんの現役時代のポジションや背番号について書いていきます。

平尾誠二さんのポジション

平尾誠二といえばスタンドオフです。

高校・大学とスタンドオフでした。

ですが神戸製鋼に入社した3年目に新人の藪木宏之氏にスタンドオフを譲り、自身は左センターにポジションを変えます。

日本代表ではスタンドオフでの出場が多かったです。

背番号は

平尾誠二さんの背番号は10番。

スタンドオフをやってたのでそうなりますわ。

神戸製鋼時代には藪木選手が加入してからは12番をつけてました。

日本選手権7連覇の時は12番でしたからそのイメージが強いです。

日本代表では10番とか12番でした。

1995年ワールドカップのアイルランド戦で初トライを取ったときの背番号も10番でした。

2016年11月5日に行われた日本対アルゼンチンの試合では平尾誠二さん追悼試合として出場選手のジャージの肩口に「12」の数字を付けて行われました。

ジャパンでは12番のイメージだったのですね。

平尾誠二さんの経歴

京都市出身で陶化中学から伏見工業高校、同志社大学と進学します。

元々は当時の京都の強豪校であった花園高校での特待生での進学が決まりかけてました。

ですが京都ラグビー祭での中学大会決勝のプレーを見た山口良治監督から熱心な誘いを受け伏見工業高校に入学しました。

伏見工業高校では2年生で全国大会初出場・ベスト8。
3年生で花園優勝(日本一)。

同志社大学では大学選手権三連覇。

神戸製鋼では日本選手権7連覇。

日本代表キャップ数35。

ワールドカップ3大会出場。

まさにミスター・ラグビーですね。

ちなみにドラマ「スクール・ウォーズ」に出てくる平山誠という選手は平尾誠二氏がモデルです。

入学当時から有望な選手として描かれてました。

スクールウォーズのモデルとなった選手についてはこちらの記事でまとめてますので興味のある方は読んでみてください。
↓↓
スクールウォーズのオープニングナレーションとセリフ名言集

余談ですが、平尾誠二さんの母校である陶化中学校、伏見工業高校ともにいまで廃校になってます。

まとめ

平尾誠二さんの現役時代のポジションはスタンドオフ、または左センターでした。

そして背番号は10番または12番でした。

 

追悼試合に選手が喪章と12という数字とをつけて試合に臨んだということから平尾誠二さんの背番号は12番という印象が強いと思われます。

2019年の日本で開催されたワールドカップ。

地元開催でアイルランドやスコットランドに勝って全勝で決勝トーナメントに進んだ日本代表を見たら何とおっしゃったでしょうねえ。

日本ラグビー界の損失です。

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