平成から令和へ。明治、大正、昭和それぞれの由来

平成31年4月1日、新元号が発表された。

令和

第一印象は「なかなかええやん」。

平成と発表された時は「えーへいせい?ちょっとダサくない?」だったように思う。

それに比べるとすごく元号っぽい。

まあ、平成も三十年もやってると普通に慣れはしたが。

令和に込められた意味

出典は万葉集。

今までの元号は全て漢籍(昔の漢文の本)から言葉が選ばれてきたが、今回初めて日本の文献が典拠となった。

万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文

初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

初春の月にして、気く風やわらぎ、梅は鏡前の粉をひらき、蘭は珮後はいごこうを薫らす。

現代語訳:初春のよい月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。

ここから令和という二文字が採用された。

安倍総理によると「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」らしい。

また、令月は陰暦2月の異称であり「何事をするにもよい月。めでたい月。」を表してるという。

ちなみにこの序文は中国の文選巻十五にある張衡が詠んだ「帰田賦」に「於是仲春令月時和氣淸」とあるのが元になったともされてる。

初めての日本文献からの出典といいながらも漢籍を典拠としてきた伝統も受け継いでるという、すごく考えられた元号だなとこの元号を考えた人たちの教養の深さに感心する。

令和はREIWAだがLEIWAならラテン語圏で「神からの贈り物」という意味があるらしい。

チベットでは希望という意味もあるらしい。

「令」は元号に使われるのは初めて。「和」は20回目となる。

なんしか、めでたそうな名前である。

 

明治の由来

『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮

「聖人南面して天下を聴き、明にむかひて治む」

「聖人が南に向いて政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる」という意味らしい。

過去10回も候補に上がり11回目での採用。

 

大正の由来

『易経』彖伝・臨卦の「亨以、天之道也」

大いにとおりて以て正しきは、天の道なり。

「民の言葉を受け入れてこそ、政治が正しく行われる」という意味らしい。

過去4回候補に上がり、5回目での採用。

 

昭和の由来

四書五経の一つ書経堯典の「百姓明、協萬邦」

百姓昭明にして、萬邦を協和す。

「人々の身分がはっきりして世の中がなごやかに治まれば、世界の国々が仲良く出来る」という意味。

 

候補に上がったのは初めてだったらしい。

ただ、出典は以前にも使われた。

明和(江戸時代)

 

平成の由来

史記「五帝本紀」の「内」(内平かに外成る)と、

「書経(偽古文尚書)」大禹謨 の「地」(地平かに天成る)に由来し、

「内外、天地とも平和が達成される」という意味。

「成」という字が元号に使われたのはこれが初めてだった。

 

改元の開始日

令和の場合は「西暦2019年5月1日から令和元年とします」とはっきり決まってるが、

近代になってからの新元号の開始日は各時代で微妙に異なる。

明治

改元の詔書が出されたのは慶応4年9月8日(新暦1868年10月23日)であり、

その日から明治になったわけであるが、正式には元日に遡って明治元年とすると定められた。

つまり慶応4年1月1日が明治元年1月1日とされたわけである。

大正と昭和

この二つは共に天皇崩御により改元されたのだが、共に即日新元号が施行された。

つまり、さっきまで明治やったのに急に大正になったってこと。

明治45年7月30日は大正元年7月30日でもあるのだ。

同様に

大正15年12月25日は昭和元年12月25日でもある。

平成

平成の場合は昭和天皇の崩御が1月7日であったが、平成となったのは翌日の1月8日からであった。

コンピュータ化されつつあった時代だからシステム対応へ一日猶予を持ったというところらしい。

当時の小渕官房長官が会見で「平成」と掲げてたあの有名な場面があるが、あれが発表されたのは1月7日だったらしい。

崩御の報と同日であったから、てんやわんやの一日やったんやな。

まとめ

世の平和を願ったり国民の安寧を祈念したりそれぞれの思いが元号には込められている。

戦争があったり大災害があったりとなかなかその願い通りの時代にはならなかった。

一世一元になってから、新時代というものは必然的に先帝の喪に服すところから始まってたが、今回の令和はそういう事もなく、明るいスタートとなるのではなかろうか。

平成はどちらかというと暗い時代であったから、次の令和は明るく幸せな時代になることを希う。

 

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