我々日本人の日常にも知らず知らず溶け込んでる七福神。
えびすさんや弁天さんなどよく耳にすると思います。
でも七福神の名前を全部言えるかというと言えない人が多いのではないでしょうか。
子供の頃ならすぐに覚えられたものも大人になってからだとなかなか覚えられないものです。
ここでは、簡単に覚えられる七福神の名前の覚え方を紹介していきます。
七福神の名前の覚え方
多くの人が七福神の神様たちの名前を一度は聞いたことがあるでしょう。
しかし、「全員の名前を正確に覚えるのは難しい」と感じる人もいるはずです。
そんな時に使える、とてもシンプルで親しみやすい記憶のコツを紹介します。
この不思議な響きのフレーズが、実は七福神の名前を素早く覚える方法なんです。
初めて耳にすると、何のことかさっぱりわからないかもしれません。
しかし、この一文には、七福神全員の名前を覚えるためのヒントが詰まっています。
さて、このフレーズをどう解釈するか、詳しく見ていきましょう。
「エビでタイ釣るお年寄り」の部分から説明します。
- 「エビ」は恵比寿天(えびすてん)を指しています。商売繁盛や豊漁の神様です。
- 「タイ」は大黒天(だいこくてん)のこと。福徳と財宝を司る神様として親しまれています。
- 「お年寄り」は寿老人(じゅろうじん)を表します。長寿と福徳の象徴です。
次に、「はじめが欠けてる「は・ひ・ふ・へ・ほ」」の解釈を見てみましょう。
「は」の文字が欠け、「ひ・ふ・へ・ほ」だけが残ります。
「はじめが欠けてる」とはそうい意味です。
これにはそれぞれの神様が隠されています。
- 「ひ」は毘沙門天(びしゃもんてん)。勇気と富をもたらす神様です。
- 「ふ」は福禄寿(ふくろくじゅ)。幸運と長寿を司ります。
- 「へ」は弁財天(べんざいてん)。音楽や芸術、知恵の神様。
- 「ほ」は布袋尊(ほていそん)。笑顔と豊穣を運ぶ神様です。
このフレーズを覚えておくだけで、七福神全員の名前を忘れることがありません。
不思議な言葉遊びのように感じるかもしれませんが、この方法で七福神の名前を素早く思い出すことができるようになります。
七福神にまつわる話題が出たとき、このユニークな覚え方を共有してみてはいかがでしょうか。
楽しく覚えることができれば、記憶も長持ちしやすいですよ。
七福神の由来
七福神は、もともとはそれぞれが独立して信仰されていた7人の「福をもたらす神様」が一つになって誕生した集まりです。
このグループが「七福神」として一般に知られるようになったのは、室町時代の後期ごろのこととされています。
それまでの平安時代には、「恵比寿」と「大黒天」の2人が特に人気があり、二福神としてよく祀られていました。
江戸時代に入ると、現在知られる七福神の形が確立しました。
歴史をさかのぼると、「恵比寿」と「大黒天」に、「毘沙門天」が加わり、3人で三福神を形成しました。
しかし、平安時代の終わりごろには、「弁財天」への信仰が増え、「毘沙門天」の代わりに三福神に加えられることもありました。
室町時代になると、「布袋」、「福禄寿」、「寿老人」といった神様たちの物語が中国から伝わってきました。
これらの神様は、仏教の教えや「竹林の七賢」という中国の物語の影響を受けて、一つのグループとして考えられるようになり、七福神として信仰されるようになったのです。
初期には現在の7人とは異なる組み合わせで信仰されていたこともあり、現在知られる形に定まったのは江戸時代のことです。
なお、七福神の中で日本独自の神様は「恵比寿」だけで、他の神様たちはインドや中国からの影響を受けています。
七福神の信仰の背景には、仏教の「七難即滅七福即生」という教えがあります。
これは、「7つの災いがすぐに消え去り、7つの幸せがもたらされる」という意味で、この七福神の信仰によって人々は7つの幸せを得ることができるとされています。
七福は
- 裕福
- 寿命
- 人望
- 清簾
- 威光
- 愛敬
- 大量
となってます。
七福が具体的七福神に当てはめ
- 裕福は大黒天
- 寿命は寿老人
- 人望は福禄寿
- 清簾は恵比寿
- 威光は毘沙門天
- 愛敬は弁財天
- 大量は布袋
を象徴しています。
また、中国の伝説「竹林の七賢」にちなんで、7人の賢人が俗世を離れて竹林で過ごし、知識や芸術を楽しんだという話も七福神の信仰に影響を与えました。
このようにして、七福神は時代を経るごとにその形を変え今日に至るまで多くの人々に愛され続けています。
七福神の見分け方と特徴
七福神の名前を覚える方法は分かったけれど、 「それぞれどの神様かはっきりしない」という方もいるかもしれませんね。
「数人ならわかるけど、全部は…」と思う方もいるでしょう。
そこで、七福神の神様が持つ特徴や与えてくれる恩恵、そして簡単に見分ける方法をお伝えします。
七福神は、さまざまな福をもたらす神様たちの集まりで、各々に特別な意味や恩恵があります。
恵比寿
恵比寿は釣竿を右手に、鯛を左手に持っている姿で描かれます。
また、特徴的な帽子「風折烏帽子」をかぶっているのが目印です。
商売と漁業の神様として崇拝されています。
ご利益
主に商売繁盛と大漁をもたらします。
恵比寿神は、正直で穏やかな商いを行うことの大切さを象徴しており、「釣りして網せず」の言葉には、過度な欲を持たず、ほどほどに満足する心の在り方が表されています。
恵比寿神の起源と信仰
恵比寿は、日本の古い時代から信仰されている神様で、名前の表記は地域や時代によって多様です。
たとえば、「夷」「戎」「胡」「蝦夷」「恵比須」「恵美須」「恵美寿」といった書き方がされたり、「えべっさん」「えびっさん」「おべっさん」といった愛称で親しまれてきました。
恵比寿神には、主に2つの起源が語られています。
ヒルコ説
『日本書紀』によれば、恵比寿神はイザナギとイザナミの間に生まれた最初の子、ヒルコとされます。
生まれつき体が非常に柔らかく、3歳で立つことができなかったため、くすのきの船に乗せられて海に流されました。
各地でヒルコが流れ着いたという伝説が残っています。
このヒルコが流れ着いた地でゑびす信仰が始まったとされ、漂流物を幸運の兆しとする信仰から、大漁や幸福をもたらす神として崇められるようになりました。
また、この信仰はクジラなどの大きな魚も神聖視する風習につながります。
事代主神(ことしろぬしのかみ)説
この説では、恵比寿は大国主命(おおくにぬしのかみ)と神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)の間に生まれた事代主神とされます。
国譲りの神話に登場する事代主神が釣りをしている姿から、釣り=大漁の象徴として恵比寿神が信仰されるようになったと言われています。
両説とも恵比寿神の由来を伝えるものであり、海や釣りと深い関わりがあることを示しています。
他にも恵比寿が太陽の神として海に流されたという説もあり、その多様な背景が恵比寿神が持つ豊かな信仰の深さを物語っています。
どちらの説も、恵比寿神が人々に親しまれ、商売繁盛や大漁を願う神として祀られるようになった経緯を示してますね。
釣りがこの神様の重要なポイントなのでしょうね。
大黒天の特徴と恩恵
大黒天は、幸運と豊かさを象徴する神様です。
目を引くのは右手に持つ打ち出の小槌(こづち)と米俵です。
また、丸い形の頭巾を身につけており、左手には福を象徴する袋を持っているのが特徴です。
この袋には、幸運や財宝が詰まっているとされ、中には精神的な豊かさを表す「七宝」が入っているとも言われています。
大黒天は「食べ物と財運の守り神」として深く信仰されており、次のような多くのっご利益をもたらすとされています。
- 財運の向上
- 五穀豊穣
- 出世と運勢の開運
なお、二つの米俵は「二俵で満足」という「満足を知る心」を意味し、贅沢を求めず現状に満足する大切さを教えてくれます。
大黒天の起源
大黒天のルーツは、破壊と再生を司るインドのヒンドゥー教の神、シヴァ神(マハーカーラ)にあります。
仏教では、この神は戦闘や富貴を象徴する存在と考えられていました。
サンスクリット語で「マハー」は「偉大なる」、「カーラ」は「黒」を意味し、これらが組み合わさり「大黒」と名付けられました。
仏教において神様とされた際に、「天」が付け加えられ「大黒天」と呼ばれるようになりました。
台所の守り神
日本で大黒天が台所の守り神として崇められるようになったのは、密教が伝わってきた平安時代にさかのぼります。
天台宗の創始者である最澄(766年~822年)が比叡山延暦寺の保護神として三面大黒天の像を祀ったことから、大黒天への信仰が広がり始めました。
この三面大黒天は、中央に大黒天、その両側に毘沙門天と弁財天を配した特別な像で、大黒天は特に台所を見守る神とされました。
台所の神としての起源は、中国南部の寺院で食物を守る神として大黒天が祀られていた習慣から影響を受けたと言われています。
この習慣を受け継ぎ台所に大黒天を祀るようになったのです。
大国主神と同一視
日本には豊穣の神として大国主神が古くから存在しました。
大黒天の名前が「大国」に通じることから、神仏習合の流れの中で大黒天と大国主神が同一視されるようになりました。
この同一視により、大黒天には笑顔が加わり福を運ぶ神としての姿、すなわち袋と小槌を持った形象に変化していきました。
こうして、大黒天は台所の守り神から、より広く豊穣と福徳をもたらす神様として信仰されるようになり、現在では多くの人々に愛される福の神として親しまれています。
なお、大黒天が持つ袋の由来には、『因幡の白兎』の物語に登場する大国主神が袋を持っていたことが関係しているとも言われています。
毘沙門天・守護と豊かさの神
毘沙門天は、甲冑を着用し勇敢な姿が特徴の神様です。
彼の右手には宝棒、左手には宝塔が見られ、宝塔には大いなる智慧と仏教の深い教えが詰まっていると言われています。
この神は特に「守護神」として知られ、次のようなご利益があるとされています。
- 厄除け
- 勝利をもたらす
- 様々な願いを叶える
毘沙門天の起源
毘沙門天の起源は、インドの財宝の守護神クベーラにあります。
サンスクリット語では「ヴァイシュラヴァナ」と呼ばれます。
毘沙門天は、「ヴァイシュラヴァナ」=「毘沙羅門」を経て「毘沙門」となり、最終的に「毘沙門天」と名付けられました。
「多聞天」とも呼ばれますが、仏教の四天王の一員として北方を守り仏法を護る役割を担います。
毘沙門天の役割と信仰
武神としての面も持つ毘沙門天は、戦国時代には勝利と守護の神として多くの武将に信仰されました。
特に上杉謙信は深く毘沙門天を信仰し、自らをその化身とまで称えました。
また、『毘沙門天王功徳経』に記されているように、毘沙門天の住む城からは絶えず福徳と財宝が溢れ出てたとされます。
真心をもって信仰し福徳を分かち合おうとする者には、財宝などが与えられ願いが叶うとされてます。
この教えにより、毘沙門天は財宝だけでなく、福徳をもたらす神としても親しまれるようになりました。
このように、毘沙門天は、守り神としての側面と豊かさを与える神様としての側面を併せ持ち、多くの人々から信仰されています。
弁財天・芸術と知恵の女神
弁財天は七福神の中で唯一の女性の神様で、手に持つ琵琶が彼女の象徴です。
弁財天は特に「財運、芸事、そして知恵の守り神」として崇められ、次のようなご利益をもたらすと信じられています。
- 学問や芸術の成功
- 財の増加
- 技能の向上
弁財天の起源
弁財天は、インドのヒンドゥー教における知識と芸術の女神、サラスヴァティーに起源を持ちます。
「サラスヴァティー」という名前は、「水の豊かな」という意味の聖なる川の名に由来しています。
この川の神として祀られるようになったサラスヴァティーは、流れる水のように滑らかで清らかな弁舌と音楽を象徴する神様とされました。
サラスヴァティーの才能が川の流れに例えられ、その清らかな弁才や美しい音楽の才能が評価されたことから、仏教に取り入れられた際に「弁才天」と呼ばれるようになりました。
彼女は、美しい音楽を奏でることから「妙音天」や「美音天」とも称され、その美しさと才能で人々を魅了します。
知恵と財の女神
弁財天は、日本における財と知恵の女神で、奈良時代に中国から伝わりました。
当初、彼女は知の女神として、また戦いを司る神として八本の腕で武器を携えて祀られていました。
しかし、平安時代になると琵琶を持つ姿の弁財天が信仰され始め、特に水辺の地域で広く崇められるようになりました。
金光明最勝王経に記された「弁才天の陀羅尼(だらに)を誦(しょう)せば所願が成就し、財を求めれば多くの財を得られるす」という言葉があります。
つまり「弁財天の真言を唱えることで願いが叶い、豊かな財を得ることができる」という教えが、彼女を財の神としても信仰するきっかけとなりました。
この教えから、「才能」を意味する「才」の文字が「財」に通じるようになり、「弁財天」と称されるようになったとされています。
また、弁財天は日本固有の神様、宇賀神や市杵嶋姫命と神仏習合され信仰はさらに深まりました。
宇賀神としては食物や財を司る神として、市杵嶋姫命としては海の守り神として、弁財天はそれぞれの側面から崇められました。
弁財天の象徴する琵琶は、彼女が芸術と知恵の女神であることを示しており、八本の腕では戦いと財の保護を象徴しています。
このように多面的な役割を持つ弁財天は、豊かさと知恵、美の象徴として、日本全国で深く信仰されています。
特に、江の島、厳島、竹生島の「日本三大弁天」は彼女を祀ることで知られており、多くの参拝者で賑わっています。
弁財天は、その美しい琵琶の音色と共に、人々の生活に芸術の喜びと知識の光をもたらす神様として広く愛されています。
福禄寿・長寿と繁栄を象徴する神様
福禄寿は、長い頭と白いひげが特徴的で、長寿のシンボルである鶴や亀を連れています。
手には杖を持ち、杖に結ばれた巻物を携えている姿が一般的です。
この巻物にはお経が書かれているとされ、福禄寿を一目で識別できる重要な特徴となっています。
「長生きの守り神」として深く信仰されており、次のような多くのご利益があるとされています。
- 子孫繫栄
- 財の獲得
- 健康と長寿
- 学力向上
福禄寿の起源
福禄寿の背景には、中国の道教から来た影響があります。
「寿星」の化身、実在した仙人、または「福、禄、寿」の理想を体現した神様と見なされています。
「寿星」としては、宇宙で太陽に次ぐ明るさを持つカノープス星が関連付けられており、この星は健康と長生きの象徴「長寿の星」として崇められていました。
また、道教では、幸福、財産、長寿という三つの徳を人生の理想とし、これらを司る星「福星」、「禄星」も神格化されたことから、「福禄寿」という神様が誕生しました。
中国では「福禄寿」が三つの異なる星に由来する三神として崇められていましたが、日本に伝わる際に、この三つが一つの神様として解釈されるようになりました。
その結果、福禄寿は日本では一つの神様として、長寿や繁栄をもたらす存在として広く信仰されるようになりました。
このように、福禄寿は長寿と幸福の願いを込めて人々に親しまれている神様であり、家庭の祭壇や神棚で敬われることが多いです。
寿老人・長寿と調和の象徴
寿老人は、長い白いひげと中国式の頭巾を身につけており、長寿のシンボルである桃や自然との調和を示す鹿を伴う姿で知られています。
また、彼は寿命が記された巻物を携えた杖を持っているとされ、不死の薬が入った瓢箪や、災いを避ける軍配を持つこともあります。
寿老人は「長生きの神」として深く信仰され、次のようなご利益があります。
- 家族の繁栄と幸せ
- 病気の治癒
- 富と栄え
- 知識と学びの向上
寿老人の起源
寿老人には二つの主な起源があります。
一つは中国の道教から来た「寿星」の化身であるというもの、もう一つは道教の始祖・老子の化身とされる説です。
寿星の化身説
寿老人と福禄寿は元々同じ「寿星」に由来する神と考えられています。
様々な姿で表されていたため、中国から日本へ伝わる過程で、二人の神様が異なる存在として認識されるようになったとされます。
確かに福禄寿と寿老人は似てるところがありますね。
老子の化身説
道教では老子が不死の仙人とされ、その後長寿の神様として信仰されました。
寿老人が老子に似た風貌で描かれ、日本へと伝わったとされるこの説は老子の高い地位を反映しています。
寿老人が持つさまざまな象徴は、長寿だけでなく、繁栄や自然との調和、さらには知恵や学問への尊重を表しています。
布袋・幸福を分け与える福の神
布袋は、開いた衣をまとい、大きなお腹と常に笑顔を絶やさない姿が特徴の神様です。
彼が持つ大きな袋は、日本では堪忍袋としても知られており、人々に幸福を分け与える象徴とされています。
「笑顔をもたらす神」として広く信仰され、以下のようなご利益があります。
- 夫婦円満
- 子孫の繁栄
- 千客万来
布袋の背景
布袋の起源は、中国の唐時代末に実在したとされる僧侶、「契此」にまで遡ります。
契此は没後、未来を救う「弥勒菩薩」の化身として神格化されました。
弥勒菩薩は、現在の釈迦の後継として未来に出現し人々を救済するとされる仏教の神様です。
布袋が弥勒菩薩の化身とされた理由には、彼の特異な逸話が関わっています。
例えば、彼が雪中で眠っても雪が積もらなかったり、占いが的中するなどの超自然的な能力が語られています。
また、彼が亡くなった後も別の場所で生きていると目撃された話や、彼自身が自分が弥勒菩薩であることを示唆する言葉を残したとされます。
布袋の名は、契此が常に背負っていた大きな布の袋から来ており、彼が旅先で出会った人々に施しをしたことが由来です。
「布袋尊」とも呼ばれ、尊敬を込めて神様として崇められています。
鎌倉時代に日本に伝わった布袋は、禅宗と共に広まり、禅画のモチーフとしても人気を博しました。
彼の豊満な姿は、心の余裕や円満な人生さらには繁栄の象徴として多くの人々から愛されています。
七福神の並べ方と縁起
七福神の置物は、幸運を招くためによく飾られますが、これらをどの順番で並べれば良いか迷う方もいるでしょう。
基本的に、七福神を並べる際の固定のルールは特にありません。
ただし、自分の願いに応じた神様を優先して左側から配置すると良いとされています。
たとえば、財運を上げたい場合は、「大黒天」や「弁財天」などの富を司る神様を視界の左側に置くといいでしょう。
なぜ左側に置くのがいいかと言いますと「右に出るものはない」という考えからです。
最も叶えたい願いの神様を他の神様よりも右側に置くことで、その願いが最も優先されると考えられます。
実際に左から並べると、一番願いを叶えてほしい神様の右隣には他の神様がいなくなります。
寺社での一般的な並べ方としては、以下のような配置がよく見られます。
- 左から順に「恵比寿」「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」「福禄寿」「寿老人」「布袋」
- 他には「恵比寿」「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」「布袋」「福禄寿」「寿老人」
などの並べ方もあります。
二列に並べる場合は、「右に出るものはいない」という考えを基に、前列の左から願いに関連する神様を3~4柱配置し、残りを後列に配置します。
これにより、前列に置かれた神様がより優位になり、願い事が叶いやすくなると考えられています。
七福神が宝船に乗ってる理由
七福神が「宝船」に乗っているイメージはよく見かけますね。
これには、理想の地「常世国」から福を運んでくるという思いが込められています。
海を越えてくる七福神は、遥か彼方から幸運をもたらす存在として考えられてきました。
海の向こうには神々の世界があり、船が神々の世界と人間界をつなぐ手段とされた背景があるのかもしれません。
宝船の起源は、正月に行われる「夢祓い」の風習にあります。
これは、正月の夜に船の絵を布団の下に敷いて眠ることで、悪い夢を追い払い川に流して浄化するというものです。
この習慣が時間を経て、幸運を呼ぶ七福神を乗せた宝船へと変わりました。
宝船に描かれる七福神は、初夢に良い夢を見るための縁起物として室町時代から人々に親しまれています。
特に、「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」 という和歌を読んで眠ると、良い夢が見られるとされていました。
この和歌は前から読んでも後ろから読んでも同じになる回文で、波に乗る船の音を楽しむ内容が込められています。
宝船には「宝」や「貘」と書かれた帆があり、金銀やサンゴなどの宝物と共に、夢を食べるとされる伝説の生き物「貘」も描かれています。
これは、宝船が夢に関連した縁起物であることを示しています。
悪い夢を見た場合、その絵を川に流すことで縁起を直すことができるとされているのも興味深い伝統です。
七福神の八人目・縁起の良い八福神
日本では昔から「八」という数字を末広がりで縁起が良いとされています。
そのため、七福神にもう一人を加えて「八福神」として祀る習慣もあります。
この風習の背景には、中国の「八仙」という道教の伝説の8人の仙人が関係しているとも考えられています。
八仙は、それぞれ異なる社会的背景や年齢、性別を象徴しており、彼らをモチーフにした掛け軸や陶器などが幸運をもたらす縁起物として大切にされてきました。
この八仙に関する文化が日本に伝わり、「七福神」や「八福神」という概念に影響を与えたとされています。
八仙は以下の通りです。
- 曹国舅:貴の象徴
- 鍾離権:富の象徴
- 李鉄拐:賤の象徴
- 藍采和:貧の象徴
- 呂洞賓:男の象徴
- 何仙姑:女の象徴
- 韓湘子:少の象徴
- 張果:老の象徴
八仙に関する話は、『八仙東遊記』などの小説で有名で、彼らが船に乗って海を渡る様子が描かれています。
これが宝船の由来とされることもあり、船に乗る八仙のイメージは七福神の宝船と似た縁起の良い象徴として日本でも受け入れられています。
八福神に加えられる神様
八福神には、時と場所によって追加される八人目の神様がいます。
何人かいますので紹介します。
吉祥天
吉祥天は、ラクシュミーというインドのヒンドゥー教の女神が起源です。
ラクシュミーは富、美、幸運を象徴する美しい女神として知られています。
「幸福と繁栄」を意味する「吉祥」という言葉から名付けられました。
手には願いを叶える「如意宝珠」と、その願いを与える印を作るポーズをしています。
奈良時代に中国経由で日本に伝わり、貴族の間で特に信仰された吉祥天ですが、庶民にはあまり知られることなく、弁財天の人気に隠れる形で少し影が薄くなってしまいました。
吉祥天と弁財天は、その属性が似ているため、時に混同されたり同一視されたりすることもあります。
吉祥天のご利益
- 五穀豊穣
- 財運の向上
- 家内安全
- 商売繫盛
といった様々な恩恵があると言われています。
吉祥天は、八福神の中でも特に豊かさと美を象徴する存在として、追加されることがあります。
お多福
お多福は、「おかめ」「お福」「乙御前」とも呼ばれ、その起源は日本神話に登場する女神「アメノウズメ」にあります。
アメノウズメは、太陽の神・天照大神が隠れた天岩戸から彼女を引き出すために舞い踊った神で、その舞いが神々を笑わせ天照大神が洞窟から出てくるきっかけを作りました。
お多福の顔の特徴は、丸い頬と低い鼻にあり、これが福を呼ぶ顔立ちとされています。
もともと平安時代にはこのような顔が美しいとされていましたが、時代が変わるにつれて、その見方も変わり狂言などではよく醜女の役で使われるようになりました。
「お多福」という名前は「多くの福を呼ぶ」という意味から来ています。
この名前には、彼女が持つ開運や福をもたらす力が込められているとされ、以下のような幸運を招くと言われています。
- 開運招福
- 災いや不運の除去
- 商売繫盛
お多福は、日本の伝統文化や芸術の中でも親しみやすい存在として、多くの人々に愛されています。
彼女の物語や特徴は、日本人の心に幸福と楽しみをもたらしてくれる特別なものです。
達磨
達磨は、禅宗の創始者とされる僧侶で、その名前は「法」を意味するサンスクリット語から来ています。
彼の出身については、南インドの王子やペルシアとも言われますが詳細は不明です。
鎌倉時代に日本に伝わった達磨は、「達磨大師」や「菩提達磨」とも呼ばれています。
伝説では、達磨が9年間壁を見つめながら座禅を組んだ「壁観」の修行を行い、その結果手足が使えなくなったとされています。
これが、達磨像が手足を持たない理由です。
「面壁九年」という言葉は、長期間にわたって辛抱強く取り組む精神を象徴しています。
室町時代に伝わった「起き上がり小法師」という、何度も倒れても起き上がる玩具が達磨の不屈の精神と結びつけられ、江戸時代には達磨を模した起き上がり小法師が製作されるようになりました。
達磨の赤色は、彼が着ていた赤い法衣に由来し、昔から赤は魔除けの効果がある色とされてきました。
そのため、達磨の置物は病気や災害から守る縁起物として親しまれています。
達磨に求められる主なご利益は、厄除けや祈願成就などです。
達磨は、その精神的な強さや目標達成に向けた不断の努力を象徴する存在として、多くの人々にインスピレーションを与えています。
まとめ
七福神の名前の簡単な覚え方を紹介しました。
それぞれの神様は特徴的なので姿形と一緒に覚えると覚えやすいですね。